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イネイト塾発足まで

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イネイト塾 名誉顧問 木村仁

鍼灸治療を生業としていた頃、多くの人がそうでありますが、より高い治療技術を求めてあちらこちらの技術講習会に顔を出していました。同じ思いの鍼灸師が沢山おり、お互い顔見知りになり、いろいろな情報を交換していました。まだ30才前で詳しくは記憶していないですが、最低でも50以上の講習会に出席したでしょう。

治療学に関しては、鍼灸治療以外の技術講習会にも興味を示し、整体術、カイロプラクティックオステオパシーなどの講習会を数多く覗いてみました。

その後、ある出来事を契機に、治療室を一週間ほど閉めて旅行に出たのです。
そこで、もう一度治療学のこと、これからの人生計画などに思いを巡らし、その結果、性急に技術の向上を望まず、一歩一歩確実に歩む方向に舵を取ることが出来たと思います。

焦らず、しかし徹底的に治療学を追求したのでした。体力には自信があったのでとにかく量的に凄まじく研究しました。3日間くらい一睡もせず、飲まず食わずに一つのことを考え続けたことも何度かあります。そして遂にBJパーマーの哲学に出会うことが出来たのです。

BJパーマーの哲学に出会ってからは、上部頚椎カイロプラクティックのみを研究、実践しました。それからは、一切鍼灸治療を行っていません。いろいろありましたが、上部頚椎カイロプラクティック治療に移行し3年経過後くらいから少しずつ自信が付いてきました。同時に経営も安定し、研究費も増え更に研究に弾みがつきました。電磁波遮断のシールドルームの研究もこの頃です。

そんな折、知人の紹介で中年の男性が弟子入り志望して来ました。彼は知人の義理の息子です。若い人と違い、技術の習得が困難であると思い、丁重に断りましたが、知人の強引な押しに負けて引き受けることになりました。

ちょうどその頃、ホメオパシーの研究が進んでおり上部頚椎を手で直接矯正することなく波動(バイブレーション)により骨を動かす事に少し展望が見えていた時です。確信まではなかったのですが、機会があればそれを試してみようと常々思っていました。

それから三ヶ月くらいの研究でほぼ実用の目途がつき、彼の研修が始まります。研修の最中でも研究が進み、遂に、現在のイネイト健康法まで連なる無刺激、無接触、無痛治療学の雛形が出来たのです。

そして、それが今に至る私の研究のメインになっています。その時は、まさか手による上部頚椎の矯正(カイロプラクティック)をやめてしまうとは夢にも思っていませんでした。平成4年の年末の事です。

イネイト健康法は手による矯正をしないのでまったく安全です。そしてとても簡単であり、誰でも行える。しかも、とても効果的です。更に凄いのは、対症療法ではなく原因療法を行えることです。

そして、イネイト健康法の更なる普及のため、荒尾和秀先生の発案によりイネイト塾を開校するに至りました。